中国語が通じない!オーダーができないショック
By - Last updated: 水曜日, 7月 31, 2019 - Save & Share -

大学2年生の時に、夏休みを利用して父と中国の北京に3泊4日で行きました。中国史を専攻していた私に、万里の長城などの遺構・遺物を実際に見て、そして現地の空気を体感させようという父の計らいによるものでした。また、私が当時学習中だった中国語の実践も目的の一つで、パック旅行にはせず、万里の長城や京劇鑑賞などの一部のイベントについては日本語のできるコーディネーターのお世話になりましたが、基本的には父と2人で北京の各所を歩いて回りました。

東西にどこまでも蛇のように横たわり、山の緑を切り裂いていた万里の長城の姿は、強い印象を残すものでした。3日目の夜に行った、京劇鑑賞も鮮烈な記憶です。コーディネーターが言うには竹下総理も座ったというかぶりつきの席で、まさに目の前で繰り広げられたその豊かな色彩と体に響く音の大迫力に圧倒されたものでした。

5.北京.jpg

食事については2日目の夜、父と2人だけで行った店で、文字だけのメニューを前に、拙い中国語に英語も交えてどうにかこうにか炒飯とスープとサラダだけ注文できたことを、やや苦い記憶として覚えています。味は大変美味しかったのですが、他の方が食べていたものがおいしそうで、同じものを頼みたいと途中から思ったのですが、どうにも伝えられず歯がゆい思いをしました。

3日目の夜、京劇の後にコーディネーターに案内された店での夕食は、前日とは打って変わって豪華なフルコース料理でした。美味しさはもちろん、食べきれないほどの量にも大満足だったことは、今でも良い思い出です。コース料理にすれば色々なものが食べられるので間違いなしです。父と二人でお腹一杯食べて飲んで、ホテルまでの道のりが長く感じられたこともよく覚えています。

どこを旅行するにしても、現地をできるだけ歩き回ることが私の信条で、この時はホテルを起点に天壇や天安門から故宮博物院、景山公園に行きました。博物院の展示を見てしまうとそれだけで大量の時間を使ってしまうことは明白だったので、無料で見られる外の範囲を歩き、敷地の広さや建物の大きさ、また赤を基調とした色彩の鮮やかさに感動したことを覚えています。

景山公園を回ってホテルの近くに戻ってきたところで父がばてて離脱することになり、だらしがないと笑ったことも、良い思い出です。1人になってからは市街地を歩き、デパートや書店に入り、家族へのお土産を買い求めました。レジを待っている時の不安と緊張は今も鮮やかに思い出せます。お茶のコーナーで、こちらの拙い中国語を聞くやすぐにメモ帳とペンを差し出してきたおばさんの対応には、その慣れ具合に驚くとともに、ある種の感動を覚えたものでした。こうした街歩きでの発見や出会いが旅行の醍醐味ではないかと、思っています。

自分の中国語力が大いに不足しており、結果的に英語の方が通じて使う機会が多かったことは痛恨事でした。夕食をちゃんと理解して十分に注文できなかったことは、間違いなく失敗です。店員に無用の苦労をかけてしまった申し訳なさも相まって心が痛んだので、海外で通訳なしで食事をとるのであれば、ちゃんと語彙力を身につけることが不可欠だと痛感しました。

その他、街を歩いていて遭遇した困ったことに、道路を横断するタイミングがあります。もちろん信号はあって、直進車両は止まっているのですが、右折や左折の車両がどんどん突っ込んでくる上に、自転車もグイグイ来るので、踏み出すタイミングに苦慮しました。結局、他の横断者についていくことでどうにか突破しましたが、それでも自転車のおじさんに怒られたので、この時の困惑と恐ろしさは強く印象に残っています。大通りの横断をできる限り避け、渡るときには集団に混ざるようにするというのが、この時の教訓です。

Posted in • • Top Of Page